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ご 由 緒
当神社は贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公[承和12年(845)6月25日生~延喜3年(903)2月25日歿]を主祭神とし、古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしています。古くは天満宮と申し上げ又、天神宮とも称し、通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ヶ町6千戸の惣社であります。文学の神様として信仰が篤く、合格祈願を始め文芸の上達を祈る参詣者が後をたたず年間に亘り社頭を賑わせています。又、伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があって農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもあります。
古くは上野山平楽寺の伽藍神でありましたが、天正9年(1581)織田信長の兵乱後に今の地にお遷しいたし奉斎せられたと云われています。
初代藩主藤堂高虎公が関ヶ原の戦(1600)の後、伊予今治から伊勢安濃津に移封せられ、大阪方に対する要塞の地として伊賀に出城を構えられ、城下町の区画を整備せられて今日の上野の町の基が築かれたものであります。
当神社は藤堂藩の祈願所と定められ18石余の祭祀料が寄進され、境内の拡張社殿の修復鐘楼の建立など手厚い庇護のもとでいよいよ栄え、明治維新に至って郷社に列せられ、次で県社に昇格し神饌幣帛料の供進社に指定されました。
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