ご 祭 神
・天照大御神・応神天皇
・天児屋根命・大山咋命
・建速須佐之男神
・建御名方神・伊邪那岐大神
・宇迦能御魂神・速玉之男神
・八王子・稲田比売命
すがわらみちざね
くしゃじんじゃ
相 殿 九社神社
主祭神 菅原道真公
・安閑天皇
ご 由 緒
俳聖松尾芭蕉[寛永21年(1644)生~元禄7年(1694)歿]と当神社との関係については芭蕉がその処女作であります「貝おほひ」の自序の末尾に「神楽の発句を巻軸にきぬるハ、歌にやハらぐ神心といへば、小歌にも予がこころざすところの誠をてらし見給ふらん事をあふぎて、当所あまミつおゝん神の御やしろの手向ぐさとなしぬ。寛文12年正月25日伊賀上野松尾氏宗房釣月軒にしてミづから序す」とある様に、あまミつおおん神の御やしろは、天満天神の御社天満宮即ち当神社のことであります。
芭蕉は俳諧をもって身を立てんと志ざされ、江戸へ下行されるに当り、先ずその処女作「貝おほひ」を自分の生まれ故郷の氏神さま天神さんに献納されたのであります。当神社が文学の神として広く世の人々の崇敬を集めていることは、芭蕉の立志の祈願社であることもその要因のひとつかと思われます。
松尾芭蕉について
楼門について
この楼門は元禄14年(1701)から宝永元年(1704)にかけて三代藩主藤堂高久が用木を寄進し建築事業が行われた。様式は総欅造り、入母屋、二重繁垂木、円柱、丸瓦、両袖には随身2躰、裏には狛犬二躰が据えてある。
平成15年3月8日は三重県有形文化財に指定されている随身、狛犬は享保五年(1720)に完成し扁額「菅聖廟」は文政7年(1824)に参議右近衛権中将藤原定成が筆したものである
鐘楼について
この鐘楼は寛永4年(1627)2月25日建立、明治後期まで朝夕に打たれてきた、市街地最古の建物で大切な文化遺産である。
平成2年3月に修復工事が行われ。同年7月に竣工し、楼門と同様に平成5年3月8日に三重県有形文化財に指定されている
現在は毎年新年を迎えると同時に、神社役員や氏子青年会の奉仕により打たれている
手水舎について
手水舎の鉢の北面には「有 孚 顒 若」という深い文字が刻み込まれている。この四字は「ゆうふぎょうじょく」と読み、その意味は、「孚」は(まこと=信)であり「顒若」は(おごそかなさま)・(厳正な状態)を示す語である。
また、この場合の「若」は(わかい)という意味ではなく、(状態を表すことば)である。従って全体の意味は、(信実の心を持っている者は、その態度も厳正である)という意である。尚、裏面には30名の奉納者の名と、嘉永五季壬子九月吉日の建立日が彫られている